暴力的なゲームと、現実社会における暴力行為の相関関係について
「残虐な事件はゲームのせい」だそうだ。
こういう事件を見るたびに思うのだが昔から取りざたにされながら
暴力ゲームとやらと「残虐な事件」の相関関係を示したマトモな資料を
見たことがない。原因は他にあるのではないだろうか?
多感な時期にある小学生に対して暴力ゲームとやらを規制する、これは認めよう。
しかし、だ。なぜ、その小学生は暴力ゲームをやりたくなったのだろうか?
暴力を振るいたいと思うような感情がないならば暴力ゲームを「やりたい」と
思わないだろう。無論、活発な時期だ
暴れたくなることはある。しかし、殺戮に及ぶほどの活発さではない。
殺戮に及ぶような暴力ゲームをやるのは「一時的な」衝動による「誰かを殺したい」
という衝動によるもので「活発さ」ゆえの行動ではない。
しかし、ここから逆に言えることがある。子供というのは理性が乏しい分
とてつもなく残酷ということだ。子供は虫だとか動物だとか自分の感情次第で
平気で殺せる。罪悪感はわずかにあるだろうが、すぐに忘れてしまう。
子供が殺人を起こすブラックリストに挙がらなかったのは
子供が非力だったからに他ならない。しかし、これからは違う。
科学技術が発達し、それこそ銃などが登場することで
子供でも簡単に人を殺せるようになった。
以前からも、そうだったが最近こうしたことが問題になってきたのは
子供たち自身がそうしたことを自覚してきたからだろう。
つまり「残虐事件はゲームのせい」ではない。
科学技術の発達による殺人の簡易化と、それを認識した子供たちの「せい」である。